相変わらずマイブームな、進化論とか遺伝子関係の書籍『盲目の時計職人』がめちゃくちゃ面白かったので、ちょっと感想を書いておきます。
『盲目の時計職人』は、以前読んだ『利己的な遺伝子』と同じく、リチャード・ドーキンス氏の著書です。
こういう進化論関連の書籍は、いくつか読んでみたんですが、僕のような門外漢にはなかなか難しい用語や概念が多くて、理解するのが大変なんですよね。
でも、ドーキンス氏の本は、比較的読みやすくて良いですね。
『利己的な遺伝子』同様、「これでもか」というぐらいに色んな比喩を多用して、僕のような門外漢にも理解できるように解説してくれるのが、ドーキンス氏の本の良いところかな、と思います。
本書『盲目の時計職人』も、やはり「自然淘汰」(自然選択)という仕組みについて、「これでもか」というくらい、くどいほど丁寧に解説している本です。
ただ、『利己的な遺伝子』とかを読んで、ある程度の基礎知識を持っているからこそ、スムーズに頭に入ってきた、という部分は多分にあるかとは思います。
特に圧巻だったのは、序盤の1~4章ですね。
もう目から鱗の連続というか、一文節読むごとに、うんうん、と頷いている自分がいました。
面白すぎ。
何億年という、我々人間にとっては想像を絶する、永い永い時間の流れの中で、ゆっくりゆっくりと、生物の進化に影響を及ぼしていった、「自然淘汰」という存在を、くどいくらいに様々な方向から、解説してくれています。
「目」とか、蝙蝠の超音波によるレーダーとか、アリをはじめとする社会性昆虫の複雑な社会構造とか、そういった、一見すると偶然に生まれたとは思えない、生物の持つ奇跡のような仕組みの成り立ちを、納得のいくように解説してくれるのは、圧巻の一言。
というか、「一見すると偶然に生まれたとは思えない」とか書きましたけど、「自然淘汰」にさらされて進化した機能、というのは、イコール偶然ではなく、ある意味必然的にそういう風に進化したものなのだ、ということですね。
そういう概念というか、そういうものを、この本を読んで、改めて理解できた気がします。
本書の後半は、ダーウィン的進化論とは対立する各説に対して、論理的に反証を提示して、
否定していっています。
この部分が、恐らく著者のドーキンスが一番伝えたかった部分なんでしょうね。
「進化論批判者」に対するアンチデーゼというか、「お前らが何となく雰囲気で捉えて批判している『進化論』は、お前らの脳内で勝手に作り上げた『脳内進化論』であって、本当の『進化論』はお前らの理論では論破できないぞ、というかむしろ逆にお前らの論理こそ『進化論』で論破できるぞ」
みたいな訴えが、行間からどんどん飛び出してくる感じ。
その部分は、正直僕にとっては「なんか著者が突然、見えない敵と戦い始めたぞ」的な印象でした。
でも実際、特にキリスト教の影響が強い欧米では、進化論に対する、生理的(?)な部分からくる反発は、僕ら日本人にはイメージできないくらい、根本的なところで、存在するんでしょうね。
日本でも、「進化論」に関して、漠然と、誤った解釈をしている人は、大量に(というかほとんどの人がそうかも)存在すると思います。
というか、僕自身も『利己的な遺伝子』と、本書『盲目の時計職人』を読んで、ようやく理屈で理解できた「ようなき気になっている」レベルですし。
なので、ドーキンスが、僕のような「業界人ではない人」から見ると、「見えない敵と戦っているみたい」と思うほど、必死にアンチ「進化論」な説に対して啓蒙しようとするのは、当然のことなのかもしれません。
とにかく、読んで良かったなぁ、と心から思える一冊でした。