世界遺産ナスカ展を見に、京都文化博物館に行ってきました
昨日は、以前から電車の中吊り広告で見て行きたいと思っていた世界遺産ナスカ展―地上絵の創造者たちを見に、京都府京都文化博物館まで行ってきました。
入場が17:30まで、閉館が18:00だと言うのに、神戸を出るのがちょっと遅くなってしまった上に、阪急烏丸駅に着いてから博物館まで迷ってしまって、結局着いたのが17:20頃。ギリギリでした。orz
何故か京都に着いた途端、携帯のネット接続ができなくなってしまって、いつもはじめて行く場所に向かうときに世話になりまくっている、携帯のEZナビウォークが使えなかったのが痛かった......。
方向音痴なんで、アレが使えないとどこにも行けないんですよ。はい。
というわけで、入場してから40分程で、結構広い会場の展示を全部廻らなきゃいけなかったわけです。
さらに、でっかいスクリーンで上空からナスカの地上絵が見られるバーチャルシアターの最後の上映が17:45頃とのことだったので、実質25分でそれ以外の場所を廻らなきゃいけなくなっちゃいました。
もうちょっと早めに出るべきだったなぁ、と後悔。
結果として、かーなり駆け足で見て廻りましたが、凄く興味深い展示がたくさんありました。
僕自身、今回の展示のメインであるナスカを含む、アンデス文明に関連する知識って、今まであんまりなかったんですよね。
なので凄く新鮮でした。
暖色を基調にした各種土器のデザインは、何となくコミカルな感じで、色がくっきりとしていて綺麗だったし、土器に描かれる人の顔がなんだか可愛くて、現代の日本でもちょっと脱力系の4コママンガとかにも出てきそうな感じがしました。
シャチが海の神様的存在とされていて、色んなところでシャチをモチーフにしたデザインが出てきていたのが意外でしたね。
やっぱりナスカというと、広大な大地に描かれたどでかい地上絵のイメージが強いので、あまり海に関する文化のイメージがなかったせいかな?
実際には、ナスカの文化が栄えていたのは今のペルー南部の海岸沿いだったんですね。
シャチが畏怖の対象となるくらいだから、相当海に密着した生活をしていたんでしょうね。認識が改まりました。
それと、今回の展示で一番インパクトが強かったのが、こどものミイラでした。
数ヶ月前に、ミイラと古代エジプト展を見てきましたが、今回のミイラの方が生々しく感じましたね。
ナスカにしてもエジプトにしても、死体をミイラにするという文化は、やっぱり乾燥しやすい砂漠地帯だからこそ生まれるものなんでしょうか。
他にも中国の方でも同様にミイラの文化があったそうですが、全然距離も時代も離れている文明の間で、同様の文化が生まれるというのは、やっぱり興味深いですよね。
文化といえば、ナスカでは子供が幼いうちに、頭に板をきつくしばりつけておいて、頭蓋骨の形を変形させるというファッション的な文化があったそうで。
ファッションではなく宗教的な意味合いが強いのかもしれませんが、人間の美的感覚のようなものは、時代や場所と共に大きく変化するんだなぁと、しみじみ思いました。
もしかしたら今から何百年後とかには、「2000年前後の時代には耳たぶに穴を開けて装飾品をつけるという痛々しい文化があったらしい」とか言われたりするんだろうか。(でもピアスはもっと大昔からあるのかな?)
前述のナスカの地上絵のバーチャルシアターは、かなり良かったです。
実際にナスカ上空を飛行機で飛んだとしても見ることはできないだろうと思えるような、様々な位置から色んな地上絵を見ることができて、実際にどれくらい地上絵がでかいのかが体感できました。
地上絵と言えば、昔から所謂トンデモ的な説が大好きだったので、「ナスカの地上絵は当時宇宙人が云々」みたいな話はよく本とかで読んでいたんですが、実際に考古学者さんたちが、地上絵に対してどういう見解を持っているのかは、全然知らなかった気がします(^^;
宗教的な意味を持つものとか、地下水の位置を示すものだとかという説が主流っぽいですね。
理由が何にせよ、実際に上空からしか全体図を確認できない程の巨大な幾何学模様や複雑な絵を大地に描くことができた当時のナスカの人々の知識や技術、行動力には、本当に驚かされます。
エジプトのピラミッドなんかもそうですが、「当時の人々の知識ではこんな精密なものが作れるわけがない」みたいな話がよく出てきますよね。
でも、当時の人々の中でそういった偉大なものを残す作業における指導者的な存在の人っていうのは、その文明で一番のインテリな存在なわけで、多分天文学とか地理とか生物とか、その辺の限られた分野に関しては現代の一般人よりもはるかに知識豊富なんじゃないかな。
現在人は夜空も見ないし、自然も眺めないし、生き物と命のやり取りもしないもん。
そんな現代人よりも文化的に水準が低いからといって、それがイコール知識や技術がない、ということにはならないと思うなぁ。